今回紹介するのは、優しい育児本です。
これから母になろうとする女性の心にやさしく寄り添います。。
『育母書』
浜 文子著
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この本と私の出会い
この本と私の出会いは18年前、私の手元にある本は1999年の初版本です。
長男が生まれてすべてが初めての子育ては私にとっては苦しいものでした。どうしても息抜きがしたくて母に子供を預けて数時間の自由時間をもらい、一人で本屋さんへ向かったときに出会った本です。
長男は毎晩のように夜泣きをするので私はいつも眠くてフラフラしていました。
後に発達障害がみつかることになる長男は発達がゆっくりで、他の子供よりも何でもできるようになるのが遅く、どうして自分はちゃんと子供を育てられないのだろうと自信をなくしていました。自分のやり方が悪いのだと思っていたんです。
そんなとき出会ったのがこの本です。
難しい子育てに苦しんでいた私の背中を優しく叩いて慰めてくれるようでした。
言葉にしてはいけないと思って我慢していた自分自身の辛さや孤独に心から共感してもらえる内容でした。
嬉しかった。
しかし、本の中で繰り広げられる著者と子供たちとの毎日は
子供を尊重し心を豊かに育てる育児であり、現実の自分の状況とのあまりの違いに物悲しくなったのも覚えています。
今思うと、きっと子供の自分もこんな風に育てて欲しかったんですね。
私は「心から共感してもらった。」という安心の感覚がよくわかりません。
3人兄弟の真ん中で自分はついでの子のような気がしていたんです。親の都合で妹になったり、お姉ちゃんになったり、いつも誰かと比べられていて自分でない誰かにならなくてはいけないと子供心に思っていました。
この本の著者も同じことを言っていたのでドキッとしました。
でも、子供の頃に同じように感じていても
こんな素敵な子育てができるんだ。
この事実は私にちょっとの勇気をくれました。
自分が腑に落ちていないからと言ってそれを子供に与えることができないわけではないということです。
自分が子供のときに欲しかったものを、自分の子供に与えてあげるという風に考えればいいのです。
でも、自分が欲しくても手に入らなかったものを与えるとき、物悲しい気持ちになるのもまた事実でした。
癒やされていない自分自身がまだいるということの証拠ですね。
子育てって本当に自分自身に向き合わされます。
今でも正直しんどいこともたくさんあります。
18年の時を経て、再び読んだ読後の感想
上の子供が19歳なので、私の母歴も19年を越える訳ですが、今振り返るともっとこうしていれば、ああしていればということばかりが思い浮かびます。しかし文中で語られる新米母へのいたわりとねぎらいは、それらすべてを許してもらえたような気持ちがしました。
心が育っているとは言い切れない自分が、そのままで精一杯頑張ったのが私の今までの子育てだったんだと思います。
著者も書いていますが、当時の孤独や辛さをなんとかくぐり抜けた今思うと
小さな子ども達と一緒に過ごした時間は、確かに子ども達の笑顔にいたわられ、ねぎらわれた歴史でもありました。欲しかった共感はここにあったのだな~。
以下は、著者の現代の子ども達への考察ですが、18年前も今もあまり変わっているとは思えません。
共感をもらって育った子どもってどのくらいいるのかな。本当にいるのかな?とさえ感じます。
人は知による分析で心が癒やされることはありません。人が癒やされるのは情による共感です。科学的視点からの育児論を一般的な生活者に向けて言ったり、書いたりする時には、体温の感じられる、生活感のある言葉使いによる生きと生ける者への優しい配慮が必要なのです。
私は親が、子どもの「自立」を願い「過保護」「過干渉」という言葉に脅えるあまり、もう永いこと幼い子にとって絶対必要な、正当な「甘え」も切り捨て、親の義務レベルの、子どもへの「手間ひまかけた言葉がけ」なども端折って過ぎたことはなかったろうかと思います。そうした「甘え」や「手間ひま」をもらえずに大きくなり「生きもの」としての慢性的な欲求不満を抱いているのが、現代の子どもではないかーと。
そして、子どもを産み母となる体験を「ある種のむごたらしさ」と表現し、産後の夫の役割についてこう記しています。
そうしたたくさんの初体験の驚きを、しっかりと内的に処理し納得するヒマも与えられず「育児」がスタートします。
中略
お産の肉体的痛みと、あの痛みをくぐりぬけた者の心の様相は、単にホルモンの所為と説明されても、納得いかないだけの複雑さを内包しています。産後はプロラクチンというホルモンのせいで乳房が張り、乳汁が分泌し女性は母性に目覚めるーと説く医師の方々に、母性はホルモンに乗ってやってくるほどわかりやすくはないと知っていただきたいと思います。どんなに愛し合うカップルでいても、女性はあの分娩台の痛みを通し、ある種の孤独を感じるはずです。どんなに心が通いあい、通じ合っていると信じていたカップルにおいても「産む」という行為のもたらす女性の担う「ひとりの痛み」は、一種、夫から切り離されている孤独に見まわれます。その欠落感を埋めあわせる意味でも、夫は産後「ひとりの痛みを体験した妻の心」に育児を通してより沿い、その痛みを埋め合わせ、メンタルな意味での共感を取り戻す努力をしなくてはいけないのです。それが夫の育児参加の一番大切な部分なのです。
特に初めの育児では、新生児を抱き真夜中にひとり授乳している時、隣で熟睡し、高鼾の夫に妻はどこか淡い孤独を感じるものです。
私もこうして欲しかったんだ。
こうして言葉にしてもらうと
なんだか、全てが腑に落ちた気がしました。
育児は24時間365日、全く休みがありません。そういえば、あの頃一番やりたいことは
「1晩でいいから、朝まで目を覚まさずに熟睡したい。」でした。
育児は育自ともいうけれど、著者は育時でもある。といいます。
その時の悩みも今になってみると、時の流れが解決してくれたことがたくさんありました。
時の流れは優しいものだな。と思います。
18年振りにこの本を読んで、今思います。
小さい子どもを育てている育児真っ最中のお母さん達ガンバレ!お父さん達ガンバレ!
心からエールを送ります。
自分のままで母になる。子どもこそがそれを許してくれる存在です。
自分にエールを送りたい気分の方はぜひ一読ください。
もしかしたら、優しい言葉に嬉し涙があふれてしまうかも。
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