今回紹介するのは、伝記?ともいえそうな発達障害の本です。
著者はテレビでも見かける栗原 類さんです。
『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』
栗原 類著
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この本と私の出会い
栗原類さんが、ご自身が発達障害だとカミングアウトされて出版されたのはニュースでなんとなく知っていました。しかし空気が読めない系のアスペルガーかな?と思っていました。
他の本を探すために出かけた本屋さんで、たまたま見つけて手に取ったのがこの本との出会いです。
発達障害と言っても、本当に人それぞれで何が苦手で何を得意かは千差万別です。支援策も苦手を減らすべく努力することの他に得意をより活かすべく能力に磨きをかけるという方法もあります。
しかし最初の壁は、自分の感覚との違いを理解することです。
そうして、事実を知ることで初めて支援することが可能になります。
同じ発達障害の子供を育てる身としては、いつもどうしたらいいのかを模索し続ける日々だったので、
類さんのケースはどんなだったのかな?と気になって手に取りました。
そして、即買いでした。
読後の感想
幸運だった環境的要因
栗原類さんは、母親の仕事の関係で早い段階でアメリカで発達障害の診断を受けることになります。そのため日本よりも理解が進んでいるアメリカでのサポートを早くから受けることができたことが、とても幸運だったと思います。
そしてその診断時に、母の泉さんも類君とは違ったタイプの発達障害だと認定を受けることになるのですが、幸運なことにふたりのタイプが全く違うことが類さんにプラスに働きます。発達障害だったがゆえにどんな困ったことが待ち受けているのか?親の正しい理解があったので、必要なサポートができたのは確実です。
類さんが試行錯誤しながら、今の自分らしい居場所をみつけることができたのは、
アメリカと日本の両方を知るお母さまが、その両方の環境を存分に生かして、子育てに取り組んできたことが大きいと感じました。
しかし、自分を振り返ってみても、当時のお母様の努力がどんなに大変だったかは容易に想像できます。そのブレない子育ては賞賛に値すると思います。人を育てるということは、障害のあるなしにかかわらずブレずに諦めずに手間暇をかけることにつきる。その結果が今の類さんの人柄に結実したのだと思いました。
私が、一番感心したのは母泉さんの現実的な長期視野です。
欧米と日本の両方を知る視野の広さは、油断すると片方の悪い点ばかりに意識が向いてしまいがちですが、現実を見極め、将来の選択肢を広げるために今できることを選択し続ける圧倒的な強さは、もしかしたら泉さんの発達障害の特徴がプラスに働いた結果だったのではと思われてなりません。
支援者との縁
そして、強力なサポートをしてくれたのが、主治医の先生です。
アメリカと日本を行き来する泉さんがひとりぼっちにならなかったのは、泉さんの主治医でもある先生が専門的な立場からアドバイスをおくり、類さんにとって信頼できる大人として存在してくれたことが本当に大きかったと思います。
中学生のとき、類さんはいじめに悩まされ転校を考えますが、この先生からの意見で転校を思いとどまります。
「日本で生きていくのなら、この状態はどこに行っても続くから。
いずれ社会に出ていくことを見越して、もう自分で耐えていかなくてはならないことを学ぶべきときにきている。」
との考えからです。親と主治医の先生の支えと少ないながら信用できる友人のおかげでこの時期を乗り切った類さんは、この経験によって心の体力をつけ、結果的にそれが今の成長につながっていきます。
我が家でも同じような難しい状況だった頃を思い出しました。
やはり少ないながら理解者の支えを得て、同じように耐え抜いた長男は、「当時逃げなかったことは自分に対する誇り」と言い切ります。
しかし、親子ともに辛かったこととして心の傷になっているのもまた事実です。
アメリカとの文化の違い
発達障害が理由で、普通以上にしてしまう失敗に遅刻がありますが、
日本で辛いのは失敗そのものよりも、度重なる遅刻をからかってくる子供の存在です。
アメリカでは個人主義が確立していて、「他人の問題に口をはさむことは幼稚な行為である。」という認識がいきわたっており、例えば、遅刻を繰り返してしまった場合でも「また遅刻かよ!」とからかう子供がいようものなら、それを見ていた教師なり保護者なりにたしなめられるようです。「遅刻はあなたには関係のないことでしょ。あなたが口をはさむべきことではない。」と。そのため小学校低学年の時点で他人に余計な干渉をする子供はいないのが現状とのこと。文化の違いを感じました。
もし、この考え方が日本の学校にも定着したら、学校はもっと安心して学べる場になるのではとふと思いました。
しかし日本では他人に干渉する子供がそのまま他人に干渉する大人になる国なので、当然干渉してくる子供がいると想定の上で、正論を振りかざすことなく「それなら遅刻をしなければいい。」という結論を導き出しそのために手を打っていくというポジティブなアプローチは見習うべきと思いました。こうすれば被害者に成り下がらずに済みます。
これもなかなかできることではないです。
それをできる母に育てられた類さんが、自分らしく成長したのは偶然ではないな。と感じたエピソードです。
また、
アメリカ社会が発達障害に対応していく姿勢は、誰かを悪者にすることなく問題解決に当たっていくものなので、親と学校が対立することなく共闘していける。
ということを知ってここには、ずいぶん文化的な違いがあると感じました。
個人の人格を尊重するという考え方も浸透していて、親にもこう指導されたといいます。
「発達障害というのは、ひとりひとりの特性が違います。あなたの息子さんがあなたと同じタイプではないのはわかりますね。あなたは自分が子供の頃、何の苦労もなくできたことが、どうして息子さんにはできないのかと理解できないかもしれない。不思議でしょうがないでしょうね。だけどそう思ったときは子供の頃に自分ができなかったことをたくさん思い浮かべてください。そして自分ができなかったことで、息子さんができていることを、ひとつでも多く見つけてあげてください。そうすれば「なんでこんなこともできないの?」という気持ちが静まり、子供をほめてあげられるようになります。」
「親と子供は別の人格であり、私のできないことを彼はたくさんやっている。」
この思いが、子供を尊重することにつながり、心からほめてあげられるようになる。
私も、まったく同感です。
しかし、ここに行き着くには、長いみちのりがありました。
私は主治医の先生に手の不器用さについてこう言われたのを今でも鮮明に覚えています。
「彼の手の感覚は、お母さんが利き手でない方の手で作業をするのと同じと考えてみてください。」
これを聞いた後、「なんでできないの!」と声を荒げたくなる気持ちがすっとなくなりました。自分だったらもっとイライラして周りに当たり散らすかもしれない。と思ったからです。長男は私に詰められても、いつも黙ってじっと耐えていました。今でも穏やかで静かな我慢強さは彼の大きな美点となっています。
親としての思い
母泉さんのパートで語られる泉さんの思いには、自分の子育てと被る部分もあり、ちょっと心が痛みました。
大部分を占める定型発達の価値観のなかでは、周囲に理解されず、善意のダメ出しにさらされ、、気軽に愚痴を言う相手もいない。(理解できないであろうことが予測できるからです。)
それでも自分の子供の将来の幸せを願い、自分の真じる子育てを貫き、乗り切ってきたのは、信頼できる主治医の先生がいてくださったのが本当に大きいなと思います。
我が家のケースでも、現在の息子もまだまだ先の見えない状態ながら、
小学生からお世話になっている主治医の先生や行政機関にも支えられて、自分のできることを増やす努力を日々続けており、それは私自身にはできないと思える、尊敬に値する姿です。
こんな人におすすめ!
今はまだ自分のまわりに理解者がいなくて、でも目の前の子供のために何かできることはないかと模索中の昔の私のような人に手に取ってほしい1冊です。柔軟な長期視野がどんなものなのかきっと参考になる部分があると思います。
しかし、本当は定型発達の人たちにこそ手に取ってほしい。
障害の有無よりも、皆にとってどうあるのが幸せなのかを考えるヒントになると思うから。
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